ライフスタイルを選ぶことは世界を変えること
「おれはヴィーガンだから、そのビールは飲めないんだ」
そう口にした彼の表情には何の変化もありませんでした。申し訳なさそうな表情でもなければ、苛立った様子でも、何かを訴える様子もありません。
「ヴィーガンって何?」カウンターの向こうから、パブの店員のお姉さんが戸惑ったように聞きました。私だけではなく、明らかに彼女も初めて聞く英単語だったのです。
「ベジタリアンの一種なんだ。そのお酒は醸造過程で魚を使っているから、おれはだめなんだよ」と彼は口早に説明すると、「フルーツジュースはある?」と続けました。
ケンブリッジでの2週間の研修で知り合った彼は、誰よりもやせていて、一見すると自信がなさそうに見えるのですが非常に聡明な質問を次々とする、優秀な学生でした。
貴重な週末の自由時間に私たちはパントという、棹であやつる小舟で川をさかのぼってとなりの村まで行くことにしました。不器用にしか船を進められない私に比べて、彼は向かい風の中でも猛スピードで船を操る頼もしい船頭としてリードしてくれました。
朝に出発して午後になってから目的地に着き、村でパブを見つけて昼食を食べることにしたのですが、そこで彼はなかなかベジタリアンメニューが見つけられなくて困ってしまったのでした。ふつうならオーダーできるサラダに、ベーコンか何かが和えてあるので、食べられなかったのです。しかも彼がいつも飲んでいるベジタリアンでも大丈夫なビールもそこにはありませんでした。
なぜベジタリアンの中でも最も厳格な種類のヴィーガンなのかを彼に聞いてみると、彼はこう答えました。「僕はこの惑星の環境に及ぼす自分の足跡(footprint)を小さくしたいと考えているだけなんだ。それはエコに生きることでもあるし、動物の痛みを自分の分だけでも減らそうというだけのことさ」
かれがこう話したとき、私や周囲の仲間は全員ミートパイや、ポークソテー、ビーフカレーなどをたらふく食べていたのですが、彼はそれを非難がましくいうのではなく、あくまで自分だけの選択だという風に話していて、周りの人も「ふーん」という具合に聞いていたのです。
その後、だれも肉食を控えたようすはみられませんでしたが、この一件で確かに何かが変わったみたいでした。
後半一週間の研修の成果をグループ発表するときのことです。私のグループは氷河期をテーマにしていましたので、私のチームメイト(上のベジタリアンの人とは別人)はプレゼンに使うためにマンモスの想像画を探していました。
「これ、よさそうだな」と見事なマンモスの絵を見つけた彼は、すぐに表情を曇らせて「やっぱりやめておこう」とその絵を削除しました。どうしたんだいと聞くと、彼はこう答えました。「手前にマンモスを殺している原始人が描かれてたんだ。ベジタリアンに失礼かと思ってね」
見えない影響が、こうした気遣いとなってあらわれたことに私は心が温まりました。
ライフスタイルは個人の選択です。ヴィーガンの彼も、あくまで「僕が自分にできることをするんだ」と言うだけで、他の人に押しつけがましいところが一切なかったことに、私は誰にも曲げることのできない信念の強さを感じました。
しかし、それが彼自身の選択であることを越えて、見えない力となって他人へも広がってゆくのを見るのも心強いことでした(ヴィーガンという生き方が良いのか悪いかは別として)。**こうしてたった一人の人間の選択がライフスタイルを生み、たった一人のライフスタイルが、世界を変えてゆく。**そんな風に希望をもってもいいのではないかと、考えさせられる出会いでした。
ライフハックも一つのライフスタイルの選択です。私たちの毎日の工夫が、世界とまではいかなくても、身近の人間関係や仕事環境をポジティブに変えているのなら、心強いなあ。