地下鉄構内にストラディヴァリウスの音色
" という記事が、非常に考えさせられることが多く、アメリカのブログでも大きな反響を巻き起こしています。ちょっとライフハックとは離れますが、読んでいてあまりに心を動かされたので書きます。
現在最も有名なバイオリン奏者の一人であるジョシュア・ベルが、350万ドルを払って手にしたとされているストラディヴァリウス「ギブソン」を手にワシントンの地下鉄構内にジーパン姿で現れ、何も知らないラッシュアワーの通勤客を前に演奏をしたならどうなるか? いったい何人が立ち止まるのか? この記事はそんな社会実験について書いています。
結果は、45分の演奏で 1000 人あまりの人が通り過ぎる中、立ち止まったのは 7 人、通り過ぎにお金を投じたのは 27 人。コンサートでなら 1 分に $100 を稼ぐ彼が手にしたのは、$30 あまり。6曲の演奏で拍手は一度もありませんでした。
天上の歌のようなすばらしい演奏を…だれも聞いてなかったとしたならそれはそれでも「美しい」と言えるのだろうか
ある人はただ忙しそうによこを通り過ぎただけ。ある人はつれている子供がバイオリンに興味を示すのを体で視界をふさいで通り過ぎました。ある人は歩いているジョシュア・ベルの目と鼻の先を歩いていたのに彼に気づきませんでした。iPod を聞いていたからです。
美とは何か。美を美として享受できない私たちとはいったい何なのか。そんなことをこの記事は問いかけているようです。
Even at this accelerated pace, though, the fiddler’s movements remain fluid and graceful; he seems so apart from his audience – unseen, unheard, otherworldly – that you find yourself thinking that he’s not really there. A ghost. Only then do you see it: He is the one who is real. They are the ghosts.
(ビデオを早回しにした)この加速された映像でも、バイオリン奏者の動きは流れるようで、優美だった。彼は観衆から遠く離れ、見ることのできない、聞くことのできない、別の世界の存在、そこにはいない幽霊のように見える。しかし実際は逆だった。彼だけが「本物」なのだ。道行く人々の方が幽霊なのだった。
著者は、忙しすぎるワシントンの公務員をわざわざラッシュアワーどきに不意打ちにして、彼らを皮肉ろうと考えた訳ではないと書いています。むしろ、こんな状況でも足を止めさせる「何か」があるのではないかと期待していたということです。
技術は私たちが未経験へと踏み出すのを阻んでいる
また、次の下りには非常に考えさせられました。
For many of us, the explosion in technology has perversely limited, not expanded, our exposure to new experiences. Increasingly, we get our news from sources that think as we already do. And with iPods, we hear what we already know; we program our own playlists.
我々の多くにとって、技術の進歩は皮肉にも新しい経験に対して私たちを解放せずに、むしろ制限することとなった。私たちは日に日に、すでに馴染みのあるソースからしかニュースを受け取らなくなっている。 iPod には、すでに知っている曲だけが入っていて、私たちは自分自身のプレイリストをいじくるだけなのだ。
もとの記事は非常に長いですし、少々読みにくいのですが、一つの物語のようになっていて読みごたえがあります。最後のあたりでは、涙が出そうになりました。実際、この記事をよんで涙が出たという人々の反応のなかにこんなのがありました。原文を失ったので記憶から:
この無関心に過ぎ去ってゆく人々は私自身です。この記事は、私が人生でやりたかった、たくさんのすばらしことについて思い起こさせました。そしてそうした夢を追い求めるのでなく、ただ日々を忙殺されているだけの自分があまりに哀れになって涙を流したのです。
この痛みは、この人だけのものではないはずです。
記事にはバッハのパルティータ第二番より「シャコンヌ」を演奏するジョシュア・ベル、そして無関心に過ぎ去る人々のビデオが複数ありますので、それだけでもご覧いただけると、この記事のエッセンスがつかめると思います。