Do not overwork
「働かされ過ぎ」の人が大勢いるのも社会として由々しき問題であることは確かなのですが、「やり過ぎ」であるのも大問題です。というのは、与えられた仕事を自分で肥大化してしまうからです。
「まだまだ不完全」 症候群
学会ではある結果について「ざっと見ました」というひとと、「まだまだ不完全なのですが」という人の2種類いるのに気づくことがあります。もちろん一人の人がこの両方を使うこともありますし、意味合いもいろいろですので一般化できませんが、「まだまだ不完全」と言ってると、いつまでも不完全なことが多いのに、自分の仕事を通して気づきました。
それに対して「ざっと見る」人は、本当にさわりの結果を荒削りのまま発表するのですが、論文にもその図がそのまま掲載されていて、完璧を求めない傾向があるような気がします。もちろん個性や状況その他による分散を取り除いての話。
80:20則だとか、90:10則だとか、スティーブン・コヴィーによれば「大きい石」だとか、いろんな言い方がありますが、僕は 「ピンポイント爆撃」仕事術なんて言って、これができると理想的だといつも思っています。
つまり、「一番やりたいこと」 という明確な目標があって、それに対して 「これを片付けると一番その目標に近づく」 という 「これ」 を探し、それだけをやる、という仕事方法です。 細かい性格だとどうしても些末な事が気になって、なかなか核心にたどり着かない事が多いのですが、覚えている限りは 1日に数回、「核心は何か」 と問い直して、そこをピンポイント爆撃すると仕事の能率は格段にあがります。
逆に、こうした 「核心」 について考えられないくらい気が焦り始めたら、非常事態宣言で Getting Things Done の mental sweep の必要な時間になると言ってもいいでしょう。混乱した頭から、ブレーンストーミング法でも、マインドマップ法でもなんでもいいので、「すべてを吸い出してしまう」 ということするわけです。
「不完全でいい」
今までの研究者人生でおそらく一番大事な発表であるはずなのに、研究に手が付かないという状況に何度も遭遇して気づくのは、「大事だ!」というプレッシャーはえてして逆効果だということです。
「やらないと大変なことになる」 「○○しないといけない」 「完璧にするんだ」 というプレッシャーは、責任感が強かったり、細かい性格の人であればあるほど、逆効果になって仕事に手がつかなくさせる原因となりかねません。前から気づいていはいたのですが、43folders で推薦している The Now Habit を読んで、本当にそうだったんだ、と我が意を得た気分でした。
逆に、「不完全でいい」 「ちょっと初めて見るだけさ」 「ちょっとやってみました〜」 というノリで仕事を初めて、締め切りの数週間も前に「なんちゃって」の形で終了させるようにしてみます。この締め切りは、version 0.1 だなどと卑下しないで、ちゃんと version 1 と自分では呼ぶようにします。そうして、あえて完璧なものから頭をそらしていった方が、手をつけやすいということに、この本を通じて気づかされました。
そんなわけで金曜日には公開ですが、これもあえて「不完全」だと心に言い聞かせています。実際、後で手直しをするチャンスはありますので、画家がデッサンをするように、音楽家が鼻歌を歌うように、試合の前にキャッチボールをするように、力を抜いてリラックスして望むことにしています。
「リラックスしすぎるのも問題だ」という人もいますけど、責任感の強い人はどうやっても仕事を完全に放棄する事ができませんので、そんなこともないと思います。
実際、細かいことが気になる人ほど、頭のなかから「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」という想念をぬぐい去ることができませんので、なおのこと「不完全でいい」と呪文のように言い続けないといけない気がhします。1日10回くらい。
でないと、すぐに頭がイデアの地平の彼方にある「完璧なもの」を先取りして考え始めて、手元の白い原稿を不完全な草稿で汚す事がいつまでたってもできないのです。