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「みえざるキュレーションの手」Summify サービスにiPhone アプリ登場

July 9th, 2011 · No Comments · Curation, Information Management, iOS

ブログのネタと、楽しみのために毎日1000件ほどの記事をRSSで読みますが、たとえ3層式のRSS整理を行って速読をしていても追いつかないことはあります。 そもそも RSS に届く記事だけが注目すべきニュースとは限らないわけですので、ツイッターやFacebook、そして最近ではGoogle+にも目を光らせていないといけません。そうなると、忙しい時には情報を網羅して重要なものを探すというのはほとんど不可能ということになります。 そうしたときの「保険」として活躍するのが、自分のRSS、ツイッターとFacebookという3つのベクトルから重要な記事を自動で探し出してサマリーを作成する Summify です。その Summify にこのたび iPhoneアプリが登場しましたので、その使い勝手もふくめてまとめておきます。

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誰もがほとんど何も知ることなくこの世を去る。そしてそれでいい理由

April 21st, 2011 · 4 Comments · Curation

世界は読むことができなかった本、見ることができなかった絵や映画、行くことができなかった場所、出会うことがなかった人、とらえそこねた好機であふれています。どんな経験豊富な人や知識人であっても、世界の99%以上は未知なのです。 この切なくも希望を感じさせる事実について、NPRに “The Sad, Beautiful Fact That We’re All Going To Miss Almost Everything” という題名のコラムが掲載されていました。 本を例にしてみよう。あなたが一週間に2冊、そして時には一週間全部を費やすペースで本を読んでいるとしたら、それでもなかなかのものだ。年100冊の本を読めたとしよう。そして仮にあなたがいま15歳だとしたら、80歳になるころまでに6500冊の本が読める計算になる。 ここで大きな簡単化をして、読む対象の本を過去250年分に限ってみよう。それはより以前の膨大な書物を無視することになるが、「読書家」であるために必要な犠牲だと考えたとする。もちろん80歳になるころには65年分の新しい本があるのだから、計315年分の本から読むべきものを選ばなくてはいけないわけだ。つまり1年当たり20冊という計算になる。一年に出版される膨大な小説、ノンフィクション、日記、哲学、歴史、エッセイから、それを選ばないといけないのだ。 コラムの著者はここで、こうした膨大さに直面して多くの人がとる行動が「culling」=「選別」と、「surrender」=「あきらめ」であると指摘します。そして「キュレーションの時代」ともてはやされるように、多くの人は「選別」に注目して「あきらめ」は一種の敗北であると感じていることにも言及します。 しかしほとんどの場合、ある審美眼で行われた「選別」も実は体の良い「あきらめ」に他ならならないのです。全てを読み、体験する時間がないとわかっているから、せめて対象とすべきものを減らしても、そのニッチにも経験不能な膨大なコンテンツが存在して私たちを圧倒します。 同じことは海外映画、ドキュメンタリー、クラシック、ファンタジー小説、ソープオペラ、ユーモア、西部劇を無視して放り出すときにもみられる。私は多くの人が特定のカテゴリで広範な作品をせっせと放り出しているのを見る。テレビは重要ではない、人気小説は重要ではない、大ヒット映画にいいものはない、ラップ音楽に言及する暇なんてない、有名人も重要ではない。そもそもなにが「重要」かなんて言わないでほしい。なぜならそれは私が見るに値するものを無視しているという意味で、それは…心地良くないからだ。それは「あきらめ」だ…というわけである。 日本における新刊書だけで年間に70000冊、CDが15000枚です。海外も含めれば、とてもじゃありませんが、一生を費やしてもその 1% にさえ目を通すことはせきません。千年生きることができたとしても、読み始めから100年分をさかのぼるのがせいぜいで、それを読んでいる千年の間に蓄積される情報にたいしてはやはり無知なままです。 情報がローカルに消費され、専門同士の交流がなく、文献も小さな図書館に収まる程度だった頃は網羅的な知識や教養への試みはそれなりに意味がありましたし可能性を含むものでした。しかしすべての情報が等価に押し寄せてくるいま、そうした審美眼は一人の人間には不可能になってしまったのです。元記事でもそれをこのように評しています: それはきっと世界を狭めて、さばききれる程度に簡単化するという努力なのだろう。そうすることで「見逃している」という感覚を耐えやすくしているのだ。 でもこの「あきらめ」とは本当にダメなことなのでしょうか? 本当に私たちは不可能と知りつつなるべく多くの情報を貪らずにはいられないのでしょうか? でもそれは、素晴らしいことでもある。(中略)そうでなければ、これまでに生み出された文化的な価値のすべてが、たった一人の人間が人生の間に飲み込める程度のものということになる。それは、われわれの文明が薄っぺらいということを証だてかねない。 そう、つまりこの膨大な多様性のなかから、次に出会う本が予想以上によいものであるという偶然の賜物を楽しむというのが、「正しいあきらめのしかた」というわけなのです。 人力キュレーションの限界? この記事で指摘されていることは、「一人の信頼できる専門家」によるキュレーションがもはや本質的に無理だということでもあります。 「専門家」を専門たらしめる知識はあまりに多すぎて、「専門家」自身でさえ、自分の特定のニッチ以外については素人にならざるを得ません。このことは科学の領域では以前から叫ばれていたことが、一般化したということでもあります。 では良いもの、時代の流行を選別することは無理かというと、まったくそんなことはありません。むしろクチコミやFacebookの「いいね!」ボタンを通じて、素晴らしい本や作品は「偶然」の形をとって私たちのものに確実に届きます。偶然の重ねあわせが十分蓄積すれば、一つの流行が生まれます。 あきらめなくてはいけないのは、「全ての情報を網羅しよう」「俺がキュレーターになってみんなに良いものを届けよう」というアトラスのように世界を背負おうとする情報処理の仕方なのでしょう。 偶然の出会いを逃さないように待ち構えること、そして偶然出会ったよいものには「いいね!」を付けて次の偶然を引き起こしていくこと。それが今のネットを支えている力でもあります。 そしてついに読めなかった本や体験できなかったことについては、慎み深く語ることを避けなくていけません。「あきらめ」はちょっと心が痛みますが、あきらめてこそ、きっと次に読む本が今までで一番面白いものであることを期待して手に取ることができるのですから。

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Google +1 であなたはウェブをキュレーションしてゆく

March 31st, 2011 · No Comments · Curation

しばらく前から Google の検索結果で「一番上の結果」は一意ではなくなっていました。つまり、過去にどのような検索をしたかが、結果に影響していたのです。あなたが「ライフハック」で検索した結果は私のものとは違うかもしれません。 こうした検索結果のパーソナライゼーション(個性化)は、きめこまかく様々な言語圏、文化圏、クラスタに属している人にそれぞれ重要な情報を伝えるべく進化してきましたが、これまではユーザーのクリックといった行動だけがこのシステムにフィードバックを与えるだけで、フィードバックの生態系は脆弱なものでした。 そこで今日登場したのが、Facebook の「いいね!」ボタンのように検索結果をレコメンドする Google +1 ボタンです。 Google +1 を使ってみる Google +1 はまだ英語版の Google のみの実験的機能ですが、有効にする場合はこちらからできます。 そして普通に検索を行うと、+1 のボタンが検索結果に表示されるようになります。手前味噌ですが押してみたのが次の画像。 こうした承認画面がでますので承認します。ここで、この「+1」の情報を利用して検索結果と広告をパーソナライズするかというチェックボックスがありますので選んでおきましょう。 また、Google Profile を利用している人は、+1 の結果をタブとして表示しておくことも可能です。+1 のタブから、「Show this tab on my profile」を選択しておけば、どのような情報に +1 をしたのかが、他の人にも見えるようになります。 +1 ボタンは最初は検索結果に対してのみ付けられるようですが、今後は Picasa の写真や、ブログの記事といったさまざまな情報に対して付けられるようになる予定だそうです。ブログにはりつけるボタンがまた一つ増えるのか…とちょっと複雑な思いですが…。 フィルターバブルを破る、一突き? Google の動画には「+1で、ウェブをちょっとよい場所にしよう」と明るいメッセージがありますが、もちろん実情はそれほど陽気なわけではありません。Facebook という、現実の人間関係の上に構築された「いいね!」の網目への対抗策です。 一つ注目しているのは、Google +1 の場合、Facebook の「いいね!」よりも新しい情報を探しにゆくときに使われるために、ソーシャルバブルを破りやすい可能性がある点です。 わかりにくい概念ですが、検索結果のパーソナリゼーションは、それを共有する似たもの同士の間で情報が並列化されてしまうソーシャルバブル(情報の閉じた泡)を生み出すといわれています。 たとえばライフハックについて興味のある人同士のクラスタ内で「いいね!」「+1」される情報は閉じたサークル内で強い意味をもっていたり、価値を認められる反面、それ以外の情報を遮断してしまうわけです。極端な話、中東情勢に興味をもっていないクラスタの人が「中東」と検索した場合、観光名所はヒットしても、エジプト情勢もリビア情勢も入りにくくなるということだってあり得るのです。 Google +1 は検索結果という、「知っている知識の境界面」への近道ですので、新しい発見、興味、好奇心が流れ込みやすい、それだけソーシャルバブルを破りやすいのではないかと思われます。 攻殻機動隊 S.A.C. に出てきたセリフを引用するなら「情報の並列化の果てに個を取り戻すための可能性」としての「好奇心」というわけですね。 +1することであなたの価値観が波及する そんな「+1」ボタンを押すことになんのメリットがあるのかと話題になっていますが、よくよく考えると Facebook の「いいね!」もクリックすることにそれほど直接的なメリットがある訳ではありません。 ただ、ほんの少し「これいいよ!」と、その情報に対して中立的な立場にいる人を自分の側にたぐりよせる役割を帯びているに過ぎません。同じ力は検索アルゴリズムに対してもかかっており、あなたが「+1」したという影響は、ほかの何万という「+1」といっしょにウェブに波及していきます。 直接的には Google Profile を通してあなたとつながりのある友人たちに、より間接的にはウェブ全体に、あなたの価値観が広がっていくのです。限られた「知識人」や「ジャーナリスト」がキュレーションを行う時代が終わり、誰もが情報のキュレーターであるというのはこういう意味なのでしょう。 難しい話のようですが、誰もがこれまでと同じようにウェブを閲覧し、ちょっといいなと思ったものに「いいね!」や「+1」をつけてゆくだけのことです。そうした一つ一つの行動がバタフライ効果となって、ウェブ全体に波及してゆく。 そんな可能性と楽しみが、この小さなボタンには含まれているのです。

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情報過多を気にする必要がない理由

February 25th, 2011 · No Comments · Curation, Information Management

Boing Boing の Cory Doctorow が情報過多と付き合う方法について、まさにトップをひた走るブロガーならではのノウハウをガーディアン紙のコラムに書いています。 Cory は BBS、ホームページ、ブログ、ツイッターを追ってきた流れを思い起こして、いつもこうしたトレンドに最初は一言一句ついていくことができたのに、次第に情報過多によって全部のブログは読めない、全部のツイートは見られないという状況へと追いやられると書いています。 しかしそうした情報過多でも慌てずにすむのは、どの媒体でも重要な情報はいつだって繰り返し浮上したり、誰かが再度言及したり、リツイートして、また出会うことができるからだということです。 There are fascinating implications for a world of probabalistic resource use: for one thing, it points up the importance of “signal amplification” through retweets, reposts, and other recycling of interesting tit-bits – these are critical to the successful use of a medium that can’t be consumed by any one person from tip to tail. これは情報に確率論的にしか出会えないいまの世界について重要な示唆をあたえてくれる。その一つが、リツイート、再掲、ネタのリサイクルを通した「シグナルの増幅」の重要性だ。次にやってくるのがどんな媒体であれ、一人のユーザーがすべてを消化できない場合には、こうした増幅の過程が媒体の成功にとって鍵となるはずだ。 これは私がときどき触れている「自分の価値観のフィルター」によるキュレーションと密接に関わっています。 ツイッターのフォロワーを選ぶことは、どんなネタを自分に届けてくれる人かを選ぶこと(キュレートすること)ですが、その選びとったフォロワーのつぶやきのなかから、最も興味深いものをリツイートした瞬間、あなたは自分の価値観によってあなたが好ましいと思うシグナルを増幅して世界にとどけた事になるのです。 同じように、あなたがフォロワーを注意深く選べばえらぶほど、RSSに登録したブログを精選すればするほど、重要な情報は増幅されていずれ手元に届きます。 Cory の場合、たとえメールのように「相手 vs 自分」という決定論的な関係のなかで流れる情報であっても、重要なメールを忘れていたら相手が再度注意を促してくれてかならず再浮上するという信頼があるそうです。 It also suggests that the most important strategy for coping with information overload is to simply relax and not worry about missing the once-in-a-lifetime opportunity lurking somewhere in one of your inboxes – it’ll be around again shortly. […]

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