自粛生活でかえって読書ができなくなるのは、解きほぐせない不安のため

本を手にとっても、どうしても読み進めることができない。数ページも読み進めることができないまま本を閉じてしまう。そうした経験はないでしょうか?

自粛生活のおかげで自宅にいる時間が長くなったのはよいものの、ここしばらく本を読もうとしても読めない、あるいは読めるのですがとても遅かったり、内容が頭に入らないということが続いていました。

こうした体験について note に記事に書いたところ、同じような体験をしている人から複数のコメントが入り、どうも自分だけはなさそうだということがわかりました。

そんな折に、ちょうど同じようなテーマについて専門家に取材をしている記事を Vox で見かけました。「なぜ、いま本を読むのが難しいのかを神経科学者にきいてみた」というタイトルです。

取材に応じたのはユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの神経科学者のOliver J. Robinson氏で、あらかじめ結論を言っておくと、この記事の中では「なぜ」の部分と「読書ができない」の部分を明確に結びつけて結論づけるのは難しいとしたうえで、不安というものの性質を知ることが鍵になると説明しています。

恐れと不安の違い

「もし私が蜘蛛が嫌いで、目の前に蜘蛛が現れたとしたら私は恐怖を感じるだろう」と氏は説明します。ここで「恐怖」という言葉にあてられているのは “fear” という英単語です。この恐れは、蜘蛛が目の前からいなくなれば、原因がなくなりますので解消します。

しかし、と氏は続けます。「もし誰かが、『この部屋には蜘蛛がどこかにいる』といった場合、その不安は解消しない。なぜなら蜘蛛がいなくなったかについて確信がもてないからだ」。これが不安、“anxiety” (アングザイエティ)です。

今回は目に見える脅威と、目に見えず、取り除けない脅威を差別化するために単純化していますが、この分類下では fear が直接的で解消可能なのに対して、anxiety は解消不能だという違いがあります。

もちろん、恐れと不安とは明確に区別できるものではなく、両者のあいだにはどっちつかずのグレーゾーンが広がっています。また、同じ不安に対する反応もまた、人によって違うのです。

なぜ読書が難しくなる人がいるか

科学者らしく、直接的な関係を証明することは難しいと念を押しながらも、Robinson氏が指摘するのは、不安による影響は短期記憶や、集中力の低減という形で出現しやすいという知見です。

それは単に忘れっぽいという話ではなく、普通に仕事をしているときに用いる短期記憶に若干の制限が加わったり、通常だったら維持できる集中力に本人も気づかないような制限が加えられているような状態のことです。

One person might have difficulty remembering things, or might have difficulty staying on task, or might have difficulty not focusing on negative things. Whereas another person has a completely different flavor. So it’s very hard to say, “This one function is affected by anxiety.” ある人は記憶力が低下するかもしれない。あるひとはタスクに集中するのが難しくなったり、ネガティブなことに気を削がれずに集中を保てなくなるかもしれない。別の人は全く異なる反応を示す可能性もある。「不安のせいでこうなった」と明確にいうのは難しい

つまり証明するのは手間がかかりますし難しいものの、もし普段と明らかに異なるレベルで仕事や読書といったタスクに集中できなくなっている人がいた場合、状況に対する不安がそうさせている可能性はあるという説明になります。

しかしこの不安が解消不能だというのはどういうことでしょうか。そして読書はできないのにSNSを見ることはできたりするといった矛盾はどう説明できるのでしょうか。

なぜ SNS は見ることができるか

不安という観点からみると、このパンデミックほど不安の元凶になっているものもないと氏は指摘します。いつ終わるかわからず、いつ自分や周囲の人が感染者になるかもわかりません。その原因がウィルスだと知識としては知っているものの、それは見ることも感じることもできない相手です。

そしてその見えない存在のために、急にすべてのものが危険になってしまったわけです。外出は危険、人混みは危険、ドアノブも、エレベーターのボタンも危険。そしてそのウィルスの影響で起こった社会的、経済的変動もまた明確な危機です。

ではそれを「蜘蛛いる部屋から出てゆく」という具合にコントロールできるかというと、それも不可能です。感染状況も、他人の行動も、私たちには制御不能だからです。あるいは「自粛警察」なるものが出てくるのも、コントロールできないもののうち、せめて言葉をぶつけて反応する相手がいるものに対して不安を投影している行為なのかもしれません。

こうした不安を解消するために、わたしたちは情報を集めようとします。ツイッターを眺め、Facebookに延々と書き込んで、不安を解消するために十分な情報を探すためだったら、不安を一時的に抑えることができます。だから、SNS は読むことができても、読書は難しくなる場合があるのでしょう。

しかし結局の所、SNS をいくらみたところで不安そのものは消えません。いつこれが終わるのかという答えがないので、無理やり答えを極端な楽観論のなかに見つけようとしたり、「私には未来がみえる」と言い張る人のなかに見出そうとしたり、陰謀論の中に探そうとする人もいますが、それでも結論はでないまま不安の自己増殖はとまらないわけです。

不安を出し抜くところからスタートする

この記事では賢明なことに「それでは結局どうすればいいのか」という点にはまったく触れていません。それ自体が、偽りの真実を提供することにしかならないとわかっているからです。

私はこうしたフェアな結論から、むしろ「不安が解消できない」ということ、そして「不安の出方にはムラがある」ということを逆に利用して、読むことができるものを読むので正解なのだと思うようにしました。

  • 「この本を読まなければ」と考えないようにする: ひょっとすると、その本はまさにいまあなたの不安を直撃にするものであって、心理的に無理なものなのかもしれません。「読むべきだ」と自らに縛りをいれるのではなく、迂回路を作ってあとから再挑戦するのでもいいでしょう

  • 読めるものを次から次へと探す: 見えない不安に邪魔されてどうしてもすぐに本を置いてしまうようなら、それを逆手にとって次から次へと別の本を読み始めてみて、たまたま続くものを探すという手も使えます。

もしいま、身体的にも健康で、気力も充実しているように思えるのに、どうしても読書に手がつかずに焦っているという人がいるならば、それは見えない不安のせいかもしれないことを念頭に、無理をしないでそれを出しぬくことを試してみてください。

もちろん、無理は禁物ですよ。長丁場なのですから、ゆっくり、ゆっくりといきましょう。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。