「リア充化」するFacebookと、取り残される感情

Facebookに「いいね!」以外の反応を登録する「リアクション」絵文字がすでに数か国でテスト中でしたが、本日それが日本でも開始されて、私のタイムラインもちょっとした祭りになっていました。

現時点ではリアクションはウェブ上のFacebookでは「いいね」ボタンの上にマウスを移動すると表示され、iOS アプリ上ではボタンを長押しすることで入力することができます。リアクションは投稿に対して行い、コメントにはつけることができません。

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登場したのは「いいね!、超いいね!、うけるね、すごいね、悲しいね、ひどいね」の6種類で、投稿のうえでそれぞれがいくつ付いたかが集計されています。

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さて、機能としては自明そのものの「リアクション」ボタンですが、いったいこれはどんな結果をもたらすのでしょうか? すでにFacebook CEOのマーク・ザッカーバーグが行っている発言や、選ばれたボタンから多少読み取ることができます。

ソーシャルメディアが拾い上げる感情

リアクションは一見、喜怒哀楽のような人間感情をソーシャルメディア上で表現するための機能に見えますが、実際には感情のサブセット、Facebook的なそれだけを選択的に抽象化しているのに注意する必要があります。このあたりはWiredの記事が詳しく解説しています。

Reactions does not exist to provide Facebook users a tool with which to wholly express themselves. Its goals, publicly stated, are to keep the platform positive, and to optimize the News Feed experience.

リアクションはFacebookユーザーが自分自身を完全に表現するためのものではなく、ゴールとしてはプラットフォームをポジティブな場所として維持して、ニュースフィードのユーザー・エクスペリエンスを最適化するためのものであると公式に発表されている

プラットフォームをポジティブな場所に維持するという部分はマーク・ザッカーバーグ氏の言葉がさらにわかりやすい解説になっています。リアクションについての記者会見における質疑で彼はこう発言しています。

“Everyone feels like they can just push the Like button, and that’s an important way to sympathize or empathize with someone. Giving people the power to do that in more ways with more emotions would be powerful, but we need to figure out the right way to do it so it ends up being a force for good, not a force for bad.

誰もが「いいね」ボタンを押すだけで他の誰かに共感したり同情したりすることができるというのはとても重要な機能だ。その機能をさらに複数の感情でできるようにするのは大事だけど、それが悪い促しではなく、良い促しになるように私たちは正しいやりかたを考えないといけない。

この一行をみても、マークは「リアクション」ボタンがたとえばユーザーどうしの感情的なやりとりに利用されることを目的としていないことは明らかです。つまり誰かが腹に据えかねる投稿をしたからといって、「よくないね!」とこき下ろす目的のボタンは導入されませんし、「どうでもいいね!」と攻撃的な無関心を伝えるボタンを用意するつもりもないといえます。

今回登場した「ひどいね」ボタンも微妙なニュアンスが曖昧にされています。投稿でシェアされた内容に「ひどいね」と言っているのか、私自身の投稿に「ひどいね」と言っているのかはあえてボカしてありますが、たいていは前者が想定されているわけです。

喜怒哀楽にみえますが、Facebook のなかでユーザーどうしが争うために利用するにはちょっと場違いなように、巧妙に作られているのです。

ますます進む「リア充」化と、とりのこされる感情

でも、正直にいいましょう。本当はそういう場所がほしいわけではないのです。ポジティブなことしか言えない友人との会話や飲み会がどれだけいびつなことになるか想像してみてください。本当は、ありのままの自分をオンラインで表現して、そのうえでポジティブな感情を選びとったり、ときには怒りや悲しみを表現したりしたいのですが、Facebook が与えているのは便利なプッシュボタン式の反応のショートカットだけなのです。

これは機能の実装としては正しいのでしょうけれども、実際の感情とはなにかがすれ違っていきます。たとえば痛ましい事件の投稿があったときに、「ひどいね」ボタンを押すのは簡単ですが、でもそんなに簡単に「ひどいね」「ひどいね」とボタンだけで反応される同情に時として苛立ちを覚えるのも私たち感情の動物の自然な反応です。

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ボタン自体が曖昧さを残しているので余計な問題も生じます。「なんでこの投稿に『すごいね』なんだ」「どうして『超いいね』じゃなくて『いいね』なんだ」といった具合に、本質的に意味のないやりとりに、意味のない解釈が加わって、本当の意味での出会いと分かり合いはねじれの関係のまま取り残されます

やがて、すべてのボタンの意味はどこか中性的な、空疎な感情の真似事としてFacebookというプラットフォームを表向き居心地のいい場所に保全するために飛び交うようになります。表向きはポジティブでリア充化したタイムラインなのですが、本当の人生ともどこか違う蜃気楼のような。

そういう意味では、ツイッターのほうが感情的なものを現時点では生のままタイムラインで表現しています。テロリストがプロパガンダに使うのはどちらかというとツイッターなのもこういうところに違いがあるのかもしれません。

Facebookはすぐにこのリアクションボタンによるシグナルをニュースフィードを自在にトリミングするために利用始めるでしょう。すでに「いいね」ボタンが私たちの見るものを変質させているように。

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一方で、私たち自身はボタンに還元できない感情をたくさんかかえている人間で、調子のよいときもあれば、友人のはげましや促しを欲することもある弱い人間です。

Facebook が擬似的な感情の跳ねまわる空間になるのは避けようがなくても、言葉で自分自身を表現して、離れた場所にいる友人とつながることまでは防げません。

より自動化し、よりプッシュボタン式になるソーシャルメディアにおいて、感情を豊かに表現して、心からの共感や連帯を、家族や友人への愛と友情を届ける努力はさらに重要になるのでしょう。意味のあるつながりを求めるなら。

(付記)

一方、本日のもっと重要な発表はFacebook Instant Article だったのでしょうけれども、それについては金曜日に配信予定のニュースレターで触れたいと思います。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。