自分という器を壊さないために

Breaking

あるところまで力を加えても、器は壊れません。しかし「ある点」以降の力を加えれば当然のことながらそれは壊れます。

力の加えかたは連続していますが、壊れるか・壊れないかというポイントは不可逆で、器を犠牲にするつもりがないなら試してはいけない場所なのです。

そのことをつよく意識させられる2週間でした。

ちょうど2週間前から、ほんの少し咳が多くなり、ほんの少し痰に緑色のものが混じるようになっていましたが、よくあることと思って気にもとめていませんでした。

そしてほんの少し、いつもに加えて無理を重ねて仕事をしていました。日中の仕事が終わり、帰宅して子供の世話をしてからブログを書き、仮眠をとってからさらに職場に戻って作業をするということを数日続けていました。

締め切りがいくつがあったので、雨に濡れたり、睡眠を削ったりしつつ、少し、少し、そしてほんの少し。でもその最後の「少し」のために、一気にバランスが崩れたのでした。### 体力という器の限界

そうしたことを続けた三日目に、あとになれば当然のことなのですが一気に熱が出てしまい、仕事どころではなくなってしまいました。

悪いことは続くもので、一日をずらして娘も胃腸風邪でダウン、その二日後には生後六ヶ月の息子も発熱、さらに家内まで娘の胃腸風邪をもらって動けなくなってしまいます。まさに家族全員が病気という非常事態です。

子供を医者に連れて行っているこちらが39度の熱をだしているのですから、なかなかに壮絶です。

結局のところ、時間をかける以外に治る道はなく、私はじっくりと抗生物質を、娘や息子は薬と栄養を取りつつ静養、家内は二日ほど寝込んでいました。

幸い、いまは全員が回復しつつあり、ようやく家族も平穏をとりもどしつつあります。

しかし今回の病気は、このあたりに私の体力的な限界線はあるのだなと、苦々しい思いとともに認めざるをえない出来事でした。「ここから先」は試したらもっと体を壊してしまうという点です。

器を強くできないなら…

一日が24時間であるのは平等ですが、限られた集中力と体力というリソースは不公平に分配されています。その人その人に、別の限界線が存在するのです。

そこで、集中力や体力が足りない人は同じ時間でも生み出すプロダクトのクオリティをあげられるように二つのことを研ぎ澄ますしかありません。

一つは**「勘」であり、もうひとつは勘と手を取り合う「シンプル化」**です。

たとえば30枚のプレゼンを10枚で済ませるときに、どの部分が最も重要な効果を担っているかをひらめるのが勘で、実際に減らすのがシンプル化の部分です。

今回の一件は、何度もこのブログで書いていることですが、さらに一段階、自分の仕事と人生をシンプル化しないことには思い通りに身動きすらとれないということを痛感させられるできごとでした。

そして本当に自分を壊すことがなかったことが不幸中の幸いでもありました。

「ほんの少し」そういいきかせながら無理をすることは、おそらく多少ならば可能でしょう。

しかし、あなたという器が壊れてしまう最後の最後までそれを試すことだけは、どうかやめてください。

壊れてしまえば器は棄てられるだけです。自分という器の強度を試すよりは、知恵を試すことこそが求められているのですから。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。