震災を、悲惨なできごとを「忘れない」ために

東日本大震災の発生から一年が経ち、この一年をさまざまに振り返ったり、あるいは追悼のための時間を、あるいは遅々として進まない被災地の再建をもう一度心に留めるための時間を過ごしている人がおおぜいだと思います。

昨年のあの日、私は浦賀水道に面した波止場をもつ職場で尋常ではないあの揺れを感じ、港に響き渡る津波警報のサイレンを聞きながらネットに食いついて情報を集めていました。

自宅は地震の瞬間に停電したため、電話は当然として、ツイッターなどの連絡手段も不可能でした。私にとって、地震発生から、家内と娘の安否を確認できないままサイレンの中を歩いて帰宅するまでの時間が、最も不安な時間だったと言えます。

職場から家に帰るにはどうしても海沿いの道を歩く必要があります。いつもは静かな港に注ぎ込む小川が不気味な音を立てながら逆流している様子を横目に、一つも電球のついていない街を通り抜けて、人の気配の感じられない駅と踏切を越えたころ、ようやくiPhoneが電波を拾って自宅と連絡がとれたときの安堵感を私は忘れません。

その後の数日間、数週間、数カ月、次々と入ってきた悲惨なニュース、不安な出来事、そのすべてが今はまだ強い印象を残しています。しかしやんぬるかな、私はきっとそれを忘れてしまうでしょう。### Evernoteの「忘れない」タグ

先日のEvernote 日本語化2周年イベントでもお話ししたのですが、私のEvernoteには「忘れない」というタグがあります。

そこにはこの震災で心に突き刺さったニュースや、忘れてはならないできごとについてクリップが残っています。

また、震災以外でも、悲惨な児童虐待事件の報道や、海外の災害報道、あるいは身近な人の訃報に至るまで、放っておけば印象が薄れて、忘れてしまいかねないものについて、私は「忘れない」というタグをつけて引きとめようと試みます。

なぜこんなことをするのかというと、いかに痛ましい、つらい出来事でも、私はきっと忘れてしまうからです。そして忘れることは、その出来事を不当に「軽く」してしまうのではないかと危惧するからです。

逆に、こうした出来事を自分なりに覚えている人が無数にいる限り、もはや自分で語ることがかなわない人々の思いが少しでもつなぎとめられるのではないかと思うのです。客観的な正確性よりも、一人ひとりの主観のログが無数にあることが、多面的な現実をより忠実に再現するだろうからです。

みたいもん!のいしたにまさきさんがこれを写真について語っています。

今回の震災で、神戸の時と違うことが写真についてあります。神戸のときには、あの阪神高速が倒れた写真、あれが震災のイメージを作りました。しかし、今回はネット上に、まさにログとして大量の写真が残され、被災範囲が広かったこともあり、この1枚という写真がありません。

311東日本大震災の記録とログを残すということ | みたいもん!

写真が今回無数の記憶の断片として機能しているように、今回はさらに多くのつぶやきが、ブログの記事が、Evernoteのノートが保存されていることでしょう。

そしていつか、それを有機的につなぐことで私達全員の記憶としての震災とその後が描かれる日もあるのではないか。そんな希望をもって私はこの「忘れない」というタグを使います。

記憶だけが私たちを生きながらえさせてくれる。それを信じるために、今日も私の「第二の脳」は忘れてはいけないことを保存し続けているのです。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。