セルフ・キュレーション:あなたの中の、残すべき記憶について

Archive

写真を残すことはできます。多少のツイートや、出来事のメモも書き留めることは可能でしょう。でも「自分がどんな人間であるのか」をログとして残すのは困難で、困難であるがゆえに果てしなく貴重です。

The Happiness Project の Gretchen さんが最近読んでいた小説 “Stone Arabia” のなかに登場する一節を引用して、人生を記録することの重要さとその困難について思いをはせています

登場人物のニックは、彼自身の音楽的仕事のアーカイブと自伝とを丹念に作り上げ、妹のデニスにこう告げます。「自らの記憶の番人となれ(Self Curate)、さもなくば消え失せることを甘受せよ」。

この一節を読んでいて私もまた「アーカイブ不安」ともいうべき不安にとりつかれていると気づいたのでした。そこには実際の人生について記録を残さないことも含まれていて、だからこそ私は一行日記や15分間の日記の習慣をつけているのです。

しかしもっと不安なのは、自分自身のものの見方を保存していないことなのです。実際に何をしたかではありません。私の知的人生の記録です。

だからこそ、Evernoteであれ、モレスキンの中であれ、私たちの残すログには 5W1H ではない「なぜ記録したの?」「何を大切に思ったの?」という知的なコンテキストが必要なのだと感じました。それが「自らの記憶の番人」になること、セルフ・キュレーションです。### たった一行の、残すべき記憶

ライフ・ログという言葉が一人歩きして、記録を残すためのツールやアプリが増えるに従って、実際にデータとして増えるログの背後に、遺されない影が広がっているのではないかという不安が私にはあります。

たとえば読んだ本の読書ノートにしても、「〜に感動した」で終わらせるのではなく、「〜のくだりは自分にとって〜を思い起こさせた。それはこのように心を動かした」と内面の力学を書くことができる人は、より完全なログを残しているといえます。

旅行先の風景の美しさ、見たテレビ番組の面白さ、単に友人との会話のくだらなさにしても、「なぜ自分にとってそうなのか?」という一行が書き加えられることで、記憶の文脈が明らかになります。

逆に、このような文脈なしには写真はただのストックフォトとかわらず、ブログ記事も洗濯屋の伝票になってしまいます。それほどまでに、自分自身が何を考えていたか、はログにとって要となるものなのです。

私は娘の写真を何百枚と撮影しています。その一枚一枚は、「君のことが大好きで仕方がないからシャッターをきるんだ」という気持ちで撮影していますが、私がそれを書き残していなかったら、その思いはどこに残るのでしょう。

誰でも、あなたのなかにも、残すべき記憶が限りなくあります。次にツールを使って何かのログを残す際に、モレスキンのページに何かを書き込む際に、「なぜそれが興味をひいたか?」「なぜいま、これを残そうとしているか」の1行を加えてみてください。

それがログを、そしてひいてはあなた自身を忘却から救う一行になると、私は信じています。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。