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最も不幸なこととは:アーネスト・ベッカーと「死」の学問

Friday, 30 July 2010 · 4 Comments · Life


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ここ数日、私は子供の頃から当たり前のようにいた、尊敬していた親戚が急に他界したことで、呆然となっていました。仕事をするにしてもどこかで気持ちが離れてゆきますし、一人になると、昔のことばかりが思い出されます。

直接的な悲しみだけでなく、その人がいないという「不在」の感覚がどうにも承服できない、いてもたってもいられない感覚がずっとつづいていました。

そんななか、How Stuffs Works の記事の中で「死」というテーマそのものにあてられた「Thanantology」という学問と、アーネスト・ベッカーという心理学者の話題を読むことで、すこしだけ、この「不在」の感覚に意味を与えられる気がしているところです。

生きていれば誰でもいつかたどり着く最終地点の話題ですので、ここで紹介してもよいかなとおもってまとめておきます。

アーネスト・ベッカーと「死」の学問

Thanantology は人間の死にまつわる学問で、社会的レベルから個人的なレベルまでそれがどのように本人、そして家族に受容されているかを研究する学問です。たとえば家族がどのように悲しみと向きあえばよいのかといった「グリーフ・ワーク」にまつわる話題などが学問対象になります。

あるいはたとえば最近は多くの人が病院でなくなり、家でなくなることがなくなったことで死生観が変化しているという話を聞いたことがあるかと思いますが、これがもたらす死へのアプローチの変化も Thanantology の学問領域になります。

この学問の一つのテーマに文化の視点でとりくんだのがアーネスト・ベッカーという心理学者でした。

彼は著書「死の拒絶」において、文化や娯楽が人間の本質であるというよりは、やがてくる死から目をそむけるための気晴らし、気を紛らわせるためのものであるという文化論を展開してピューリッツァー賞を受賞しています。

我々はいずれやってくる「死」というピークにむかってゆっくりと登っているローラーコースターに乗っていて、文化はその両側に据え付けられたテレビのようなものだと彼は比喩で語ります。しかしその気晴らしも完全ではないため、戦争や暴力といった形で潜在的な焦燥感が開放されると、彼の説は続いていきます。

その部分の記述は学問的には面白かったのですが、むしろ目を引いたのはそれに続く記事の解説でした。

Becker’s field of study — referred to as the psychology of death– does suggest a worst way to die. Since culture has the potential to distract us from confronting death, it can lead us to waste our lives. The worst type of death, according to Becker’s theory, would be one that followed an insignificant life.

ベッカーの学問によれば、もっとも不幸な死に方とは文化や娯楽などによって無駄に機を紛らわされるだけで終わった人生だということが言える。最も不幸な死とは、「無味乾燥な人生」にひき続くものなのだ。

この段落は、今の私にとって一種のなぐさめとして読むことができました。というのも、他界した親戚は若くていらっしゃったのですが、非常に立派でたくさんの思い出を残してくださった人なので、そのことが雄弁に彼の人生について物語っているからです。

そしてこの段落はまだこれから生きてゆく自分に課題を与えてくれます。よく生きるとは? 娯楽はどこまでが善で、どこからがただ人生を無駄にしていることになるのか? 自分はどのように最後を迎えたいか?

WineLibrary.tv のゲイリー・ヴェイナーチャックが著書「Crush it! (邦訳「ゲイリーの稼ぎ方)」のなかで語っている言葉に「Legacy always beats Currency」というものがあります。

「どんな遺産を残すか」は常に「お金」に勝る。だからお金の稼ぎ方も遺産(物質的な遺産というよりは、思い出や生き方を通して残す遺産)を意識して行おうというわけです。

ずっと意識していましたが、このブログのテーマには「手元から人生を変える」というものがあるのですが、この「人生」を仕事人生や直近の楽しみに限らず、もっと射程を伸ばすべきときがきているのかもですね。

p.s.

と、きれいにまとめてみても、いなくなった人にもう一度会いたい、もう一度声を聞きたいと思う気持ちとは別なんですよね…。言葉になりません。

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  • morita takashi

    生き方において、自分にとっても周りの人にとっても思い出になるような精神的遺産を残すことは大事なことですが、それだけでは埋められないものがあると思います。それは人間死んだらどうなるのかについての決定的な答えです。死んだら無になるという唯物論無神論こそ魂を恐怖と絶望に落とし込む心のガン細胞ではないでしょうか。古今東西の偉人や聖なる宗教家が説いてきた魂の不滅と転生輪廻の真理をきちんと受け入れたときに、大きな安らぎが与えられるものと思います。

  • http://lifehacking.jp mehori

    もちろんです(もっとも、私は輪廻を信じませんが)。

    ただ、魂のことは最後につけくわえた、「言葉にならない部分」への答えなのだと思ってます。だからこのブログでは、「語りえぬことには沈黙を守る」ことにしています。

  • http://www.mypeacefulfamily.com 塚越悦子

    大切な方を亡くされて心の中に埋めきれない穴があいているお気持ち、お察しします。心からのお悔やみを申し上げます。

    死は私にとっても身近なテーマなので、興味深く拝読しました。
    私がアーネスト・ベッカーの引用された一説を読んで思ったことは、解説の部分にあるInsignificant Lifeなんて本当にあるのだろうか?ということです。私は去年の12月に息子を亡くしました。正確には、妊娠16週のことでしたので流産という分類をされるようですが、早産の状態になり出てきたときには息をしていませんでした。彼はこの世では実際になにもなしとげることはありませんでしたが、彼の人生がInsignificantだったなんて、誰に言えるでしょうか。16週と言う短い時間でしたが、彼の生と死は私と夫に多くのことを教えてくれました。無為な時間を過ごすことによって人生の時間を無駄にするというコンセプトは頭ではもちろん理解できますが、その「無為な時間」を過す中で本人の中でどんなプロセスがおこっているのかなんて、他人には本当にはわからないことでは?と思いました。
    アーネスト・ベッカーの本を読んでみないとこれ以上のことはわかりませんが、何となく
    “Being” よりも”Doing”に重きをおかれているような印象を受けましたが、如何でしょうか。

  • http://lifehacking.jp mehori

    息子さんのこと、本当にお気の毒です。本当になんでこんなことがあるのだろうかと、わからなくなることがありますよね…。

    僕の記述が混乱していてわかりにくかったのですが、Thanantology は「人生の意味」を考える哲学でも、「魂の救済」などを考える宗教の学問でもなく、どちらかというと人生を少なからず生きていた人とその家族が「死を受け入れる」過程を対象としたものです。ターミナルケアの精神面、文化的側面を担っているといえるのかもしれません。

    なのでご指摘のとおり、これまで being の部分を問いかけるものではなく、受け入れるためにどのような処置をすればいいのかというきわめて臨床的な側面をもっています。

    息子さまの場合、その前提となる人生がまだ始まったばかりで逝かれたのですから、この学問の言葉はまったく無力です。無為か無為でないかなんて、生きて人生を謳歌しているものの傲慢なのかもしれませんね。

    今度はそれを受け入れる私たちの側に話を転じると、Thanantology は近しい人の死を嘆き、どのようにして受け入れてゆくかという部分について学問対象にしているのですが、ここでも大きな無力をかかえています。

    たとえば、息子さんの短い人生が「無駄ではなかった」という強い信念が生まれるまでには(私もそう強く信じていますが)、「なぜ?」と問いかけ、答えがない中でも「いや、それでも自分は無駄とは思わない」と信じるにいたるまでのプロセスがあったのではないでしょうか?

    こうした確信がどこから与えられるか、この学問は対象にしていません。それは Thanantology が不完全であるという意味ではなくて、むしろ神聖なことには手を触れない、慎ましさからきているのです。

    こうして記事にはしてみたものの、私はたぶん最後の一行が書きたかっただけなのかもしれません。書けば書くほど、言葉にならないものを抱えながらただ祈ることしかできないということが分かってきます。