ライフハックはなぜ「○つの方法」という形をとる(ことが多い)のか

little-things.jpg

先日、「ライフハックに向けて自分を準備してくれたもの」という話題を導くために引用した「プロとアマの違い」が注目されて数多くのブックマークを集めたのはよかったのですが、コメントにも数多く「こんなに項目いらないよ」という意見をいただきました。

また、404 blog not found の弾さんにもこれらの13か条が一つの公理から導けるとの指摘をうけました。その公理とは:

相手と自分の利害が対立したとき、

  • 自分の利害を優先してよいのがアマチュア

  • 相手の利害を優先しなければならないのがプロフェッショナル

というものです。「自分」と「他人」とがぶつかる中での「プロ」という自我のあり方について喝破した見事な定義だと思ったのですが、しかしあえて私は異論というか、元の記事を書いた意図に立ち戻ってなぜ13か条もあるのかを強調したいと思います。そしてこの13か条は全部覚えるものでもなければ、数を減らして公理的に理解してほしいものでもないことについて書きたいと思います。

それはライフハックの記事に「○○するための○つの方法」という記事がなぜ多いのかという話題にもつながるのです。

なぜライフハックは「○つの方法」の形をとるの?

私がこの「プロとアマ」のポスターをみて感銘を受けた頃、私は他人との研究上の付き合いも成立できていませんでしたし、自分の研究さえも確立できていませんでした。「自分はどうなるんだろう?」「 自分はこの道で生きていけるのか?」「そもそも、自分がこの道でプロとなるために欠けてるマインドセットは何か?」こうしたことを自問自答していたときに、こうした具体性のある成長プロセスが示されたことはとても有益でした。たとえば次の項目:

「13. 自分のシナリオを描く・他人のシナリオが気になる」

という対比は、オリジナリティのある研究者になるために絶対に左側に立たないといけないマインドセットです。「他人はどんな論文を書いているのか?」「 もうこんな研究やられてるに違いない」と思い悩んでいたときにはまさに右側にハマっていたわけで、この一項目のおかげで、こうした心の弱さを意識できたわけです。

これを:

「4. 他人の幸せに役立つ喜び ・自分が傷つく事は回避する」

と峻別して意識することができたことは、この二つを個別にハックして、より「プロ」の側に立つように努力するために何が必要かという指針につながりました。ただ他人から批判されることだけを恐れている時に、この項目をみて「あ、これにハマっている」と気づくことができた訳です。

「プロ」なるものを作る要素はいろいろあるとおもいますし、この13か条だけでそれを網羅しているとはまったく思いませんが、「プロフェッショナル」なるものを構成する最も重要な固有ベクトルが含まれていることは疑問の余地がありません。そうした一つ一つのベクトルを、一つずつ他のものから区別して意識し、小さなステップで導入することができたのは、実に有益な体験でした。

このことは物理の万能理論と古典力学の違いのようなもので、確かに相対論や量子力学も含んだ万能理論がすべてにおいて正しいのはわかるけど、でもバットでヒットをうつのには古典力学で十分だよね、というのに似ている気がします。ヒットを打つには、慣性の法則、作用反作用、入射角と反射角といった「適用上」のルールを理解できた方が効率が良いわけです。それが「ライフハック」だと言い換えてもよいのかもしれません。

このように考えると、ライフハックの記事に「○つの方法」というものが多い理由は、もちろん「7つの方法」「10の方法」といった表題が目を引きやすく、キャッチーでアクセスを伸ばせるからというブログを書く側の理由もありますが、公理よりも個別の適用ケースを示す方が理解しやすくハックとして導入しやすいからという理由もあるわけです。

逆に、ある程度これらのことが無意識にできるようになった人にとっては、13か条は多すぎるはずです。その時こそ、こんな小手先のリストを離れ、弾さんの力強い言葉に耳を傾けるときがきたということなのだと思います。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。